第一
悪業(あくごう)は山の如く積り、また罪障は海の如く深し。生(しょう)は日々に遠ざかり、死は念々に近し。若し厭わずして一期(ご)空しく過ぎなば、再び琰王(えんのう)の呵責(かしゃく)を聞かんこと、今、幾廻り(いくめぐり)の日月(にちがつ)ぞや。悪趣(あくしゅ)の苦果を受けんこと、知らず旦(たん)とやせん暮(ぼ)とやせん。早く火界を厭うて速やかに浄土に趣かん。
『選擇傳弘決疑鈔』
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第二
我等、頭には霜雪(そうせつ)を戴き、心は俗塵(ぞくじん)に染(そ)み、一生盡(つき)るといえども希望は盡きず。遂に白日の下を離れて獨り黄泉(こうせん)の底に入るの時、猛火の中に堕(だ)せり。天に呼び、地を叩くと雖も更に何の益かあらんや。願わくは諸(もろもろ)の行者(ぎょうじゃ)、疾(はや)く厭離(えんり)の心を生じて、速やかに出要の路に隨い、寶の山に入りて手を空しくして歸ること莫(なか)れ。
『決疑鈔』
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第三
夫れ如来、世に出(いで)て種々の法を説き給える事は、偏(ひとえ)に衆生をして無常の苦を離れ、究竟(くきょう)の楽を得せしめんがためなり。経に云わく、一度(ひとたび)、人身を失いつれば萬劫(まんごう)にも受くべからず。今日は存すといえども明朝は持(たも)ちがたし。何ぞ恣(ほしいまま)にして悪法に住せん。と云えり。實(まこと)なるかな。此の事若し勤めずして、泥梨(ないり)に入りなば出離(しゅっり)いよいよ遠くなるべし。受け難きは人身、値(あ)いがたきは仏教なり。寶の山に手を空しくする譬え、夢にだにも悔いを残すことなかれ。
『浄土大意鈔』
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第四
三学の修行に堪えざる衆生、悪道の生死まぬがれがたし。大聖、是れを哀れみて浄土に往生する門を説き給えり。此の門には唯々信仏の因縁をもって、仏願力に乗じて往生すれば、他力の出離と名づく。
『浄土大意鈔』
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第五
萬劫の功業(こうぎょう)を修せよとも説かず。三祇・六度を行ぜよとも明かさず。上(かみ)は一形(いちぎょう)、下(しも)は一念。いくばくの功なしといえども、阿彌陀佛、五劫思惟の四十八願、兆載永劫の六度萬行を吾等に与え給うが故に、往生の萬行虚しからず、雪山(せっせん)に身を投ぜよともいわず、命を捨てよとものべず、花のもと、月の前、雨の夜、雪の朝、草庵の内、静かなるに、窓の前に西を思い、御名(みな)を唱うれば、無始の霜露(そうろ)は舌の上に消え、順次(じゅんし)の蓮台は念の内に定まりぬ。
『浄土大意鈔』
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第六
近来、法然上人、此の界に出でて、念仏を勧め給う事おわしき。是れ大権の垂迹なり。弟子(良忠)宿因ありて、其の流れを汲めり。
『浄土宗行者用意問答』
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第七
唯、相伝の一筋を信じて念仏し、往生を遂げて穢土に還り来たりて、又こそ、此の法を一切の人にさずけんと思うべきなり。
『用意問答』
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第八
いつわらざる心をもて、仏の本願を信じて、まさに往生せんとおもう。是を三心というなり。
此の三心は、念仏の安心(あんじん)、往生の正因(しょういん)なり。其の意を知って念仏を行ずべし。
『用意問答』
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第九
一に至誠心(しじょうしん)とは真実の心という事なり。おおよそ人の心に真あり偽あり。君臣夫婦、皆その心あるが如く、往生を願う心までも此の二つにあり。その偽れるを虚仮心(こけしん)と名づく。内は名利に住しながら、外は往生を願う由をもてなして、三業精進の人よと云わるるを虚仮心というなり。
『用意問答』
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第十
内外(ないげ)相応(あいかな)いて三業の勤め、外を飾らず、真実に往生の為と思うを、至誠心というなり。譬えば、忠臣は国の危うきに顕(あらわ)れ、貞松(ていしょう)は歳(とし)の寒きに顕るが如し。
『用意問答』
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第十一
二に深心(じんしん)とは、深く信じて疑わぬ心なり。是に二つの信あり。一つには自身はこれ罪悪生死の凡夫にして、昿劫(こうごう)より以来(このかた)、常に没み、常に流転して、出離の縁あることなしと深く信ず。これは自力にては生死を出で難しと、我が身のほどを信ずるなり。
『用意問答』
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第十二
二には、阿弥陀仏、四十八願を成就して、かかる衆生を助け給うと深く信じて、疑いなく慮(うらおも)いなければ、彼の仏の願力に乗じて往生すと信ず。阿弥陀仏、五劫に思惟して、大悲の肝胆(かんたん)を砕いて案じ立て給う四十八願の本意は、ただかかる自力にて生死を出でがたき衆生を、哀れみ給うと心得つれば、彼の願力に依って生ると信じて疑わぬを、深心とはいうなり。
『用意問答』
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第十三
たとえば我がために善き人の而(しか)も虚事(そらごと)せぬが、若し我れここにあらば悪しかりぬべきを教えて、その路を行け、行かんにはいかなる道あり、行きつかば目出度き處あり、かしこに住せよと、くれぐれ念ごろに教えたらんを憑みて行かんに、又、人ありて然(さ)る道なし、さる所なしというとも、前の人の我れを欺くべき様なき道理をもちて、とかく疑うまじきが如く、三界の慈父にてまします釈迦仏の説・吾等が悲母にてまします阿弥陀仏の、願を発して凡夫の苦しみをぬきますと、聞きてん後(のち)は塵(ちり)ばかりも疑うまじきなり。
『用意問答』
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第十四
三に回向発願心は、念仏を先として一切の善根を極楽に回向するなり。過去と今生との善根を一つも残さず回向すべし。昔は何の為にも思え、今はとりかえして往生の為と思うべし。
『用意問答』
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第十五
先師(鎮西)口伝せられ候いしは、念仏申せば往生するなりという事を聞きて、其のことばをゆるす時、三心を一時に具すなり。と。
『決答授手印疑問鈔』
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第十六
三心を具して念仏せん者は、弥陀の本願に相応して、必定(ひつじょう)して往生すべし。若し一心もかけぬれば生まるることを得べからず。よくよく我が心を顧みて三心の具と不具を知るべきなり。三心を具したらん人は、常に念仏の申したく、数偏(すへん)のせられんずるなり。
『用意問答』
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第十七
先師(鎮西)の仰せ候は、故上人(法然上人)の宣いしは、往生のために念仏を申す時、此の念仏の行を心に大要なりと覚えて、行ずるにつきて勇みありて常に念仏を申さんと欲するものは、我が身すでに三心を具したりと思うべきなり。
『決答鈔』
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第十八
破戒の人の中に二つあり。一には止悪修善の道理を存じながら、貪瞋に逼められて戒品を破る者あり。
二には悪見を起こして他力本願を信ぜんものは、罪悪を恐るべからずと存じて、恣(ほしいまま)に悪を作る人あり。
此の二人の中に、後の人は往生すべからず。前の人は往生すべし。
『決答鈔』
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第十九
悲しきかな。因果を信ずる者は、他力の信弱く、本願を信ずる者は、因果の理ゆるし。こいねがわくは、専ら本願を信じ、兼ねて因果を信ぜよ。則ち、仏意にかないて往生を遂ぐべきものなり。
『東宗要』
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第二十
五種正行は阿弥陀仏の御事を行ずる故に、少々厭離穢土(えんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)の心弱けれども、行の徳として心、弥陀に係るが故に生ずるなり。所詮、心の重く心のかかる所へ生まるるなり。雑行は極楽に疎きが故に修すべからず。正行は正助二業ともに修すべし。但し助業は傍(かたわ)らなるべし。又、修せざる人もあるべし。称名して専ら往生を期すべし。
『大意鈔』
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第二十一
四十八願の中に極楽に生ずべき生因を願じ給うことは、ただ第十八願の念仏往生の願に限る故なり。仰いで弘願の心を按ずるに、萬行の中に勝れたること、念仏に過ぎたるはなし。其の故は自ら唱うる聲を吾が耳に聞き、心に弥陀を思う、その心に勧められて又口に唱う。念は聲をすすめ聲は念をおこして常に弥陀を忘れず行ずるなり。此の故に、萬行萬善の中に念仏の行、第一なり。
『大意鈔』
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第二十二
凡そ信に就いて忍許(にんこ)、澄浄(ちょうじょう)の二義あり。澄浄と言うは、所謂る能(よ)く心をして澄浄ならしむ故に。水精珠(すいしょうじゅ)の能く濁水(だくすい)を清くするが如し。忍許と言うは、謂(いわ)く四諦、三宝、善悪業果の法に於いて忍許して疑わず。若し疑心の者は、法水留まらず。功徳、成(じょう)じ難し。一切の修道、信より先なるは莫(な)し。
『決疑鈔』
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第二十三
仰いで願文を見たてまつれば、涙、双眼(そうがん)に浮かぶ。萬劫に希(まれ)に聞き今、始めて値(あ)いたてまつる。彼の宝刹(ほうせつ)に詣(いた)らんこと、今、幾ばくの暁夕(ぎょうせき)ぞや。
『決疑鈔』
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第二十四
凡そ決定往生(けつじょうおうじょう)の心を具せん機(き)は、その志、昔日の如く非ざるべしといえども、然もその実を検(たずぬ)れば、浄心は一両にして余は悉く濁乱(じょくらん)なり。猶(なお)し龍の小水を得て大雨を降らすが如く、仏願力に因って速やかに大善と成て往生を得。相伝此(かく)の如し。
『決疑鈔』
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第二十五
念仏はただの念仏に非ず、則ち是れ本願の念仏なり。本願の念仏はまたただの本願念仏にあらず。則ち是れ選擇本願の念仏なり。
『決疑鈔』
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第二十六
念仏の行を選擇すること、弥陀一仏に局(かぎ)らず、また諸仏同じく選擇す。菩薩念仏三昧経に云わく、斯(こ)の念仏三昧は過去諸仏の選擇なり。一切諸仏の財寶なり。一切諸仏の舎利なり。一切諸仏の体性なり、と。
『決疑鈔』
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第二十七
衆生弥陀を憶念して絶えざること、犢子(とくし)の母を思う如く、弥陀また衆生を念じて捨てざること、魚母(ぎょも)の子を念ずるが如し。彼此(ひし)親しきが故に是れを不離と名く。
『観経疏伝通記』
※「犢子」=牛の子ども/「魚母」=クジラの母。犢子魚母の譬え。
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第二十八
経路遠しといえども、彼此心同じ。之れを親縁(しんねん)と名く。千返(せんべん)影向(ようこう)して、攝護(しょうご)して倦むこと無きは、行者をはなれず。之れを近縁(ごんねん)と名く。
『決疑鈔』
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第二十九 記主良忠上人 一枚起請文
先師弁阿曰く、経論の中に菩提のおもうべきようをあかすに、六念八念十随念とて、さまざまありといえども、我がごときはただ念死念仏の二字にありと。此の一言、千金よりも重し。まことに此の二念を、こころかけたらんにすぎたることあるべからず。念死というは終(つい)に遁(のが)れぬ死を思いて、出る息のいらんことをたのまぬなり。念仏というは、仏のちかいのたのもしき事をおもいて、口に南無阿弥陀仏と申すべきなり。北芒(ほくぼう)の露といつか消えて西土(さいど)のうてなにその時を期(ご)すべき。此の外に奥ふかき事なし。是れもし虚言(そらごと)ならば三宝の御罰(おんばち)あるべく候なり。
おしえおく このことの葉の ゆく末を おもいわすれず われを とぶらえ
文永六年(1269)八月二十九日 上人在御判
『新撰往生伝』
※「北芒」=墓地
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第三十
善導和尚(ぜんどうかしょう)、諸行を廃して念仏に帰せしむる所以(ゆえん)は、啻(ただ)、弥陀本願の行たるのみにあらず、亦(また)これ釈尊付属の行なればなり。故に知りぬ。諸行は機に非(そむ)き時を失えり。念仏往生は機に當り時を得たり。感応、豈(あに)、唐捐(とうえん)ならんや。
『決疑鈔』
意味
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第三十一
念仏は則ち是れ終窮(しゅうぐう)の極談(ごくだん)。他力の妙術なり。是れ仏法の中の最勝の功徳なり。
『決疑鈔』
再往の義は、念仏三昧は王三昧なり。諸仏の大将なり。行體(ぎょうたい)甚深(じんじん)なるが故に極悪の機を教化(きょうけ)するなり。故上人(法然上人)の相伝此(かく)の如し。
『徹選擇鈔』
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